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東京高等裁判所 昭和52年(行コ)32号 判決

控訴人 松原良三

被控訴人 鶴見税務署長

代理人 斉藤健 豊住政一 ほか二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は、「原判決を取消す。被控訴人が昭和四五年二月二〇日付で控訴人に対してした昭和三九年分贈与税決定処分及び無申告加算税賦課処分を取消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠の関係は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決六枚目裏一〇行目から同七枚目表五行目までを次のとおり改める。

「本件課税処分は、昭和三九年一一月に取り壊わされた僖弘所有の建物敷地に相当する借地の借地権が、贈与されたものとしてした処分であるが、その課税価格とした借地権の価格は、次の方式により算定したものである。計算方式A×B×C×D=七二一万〇一四三円

A……横浜市鶴見区鶴見町二四九番地宅地三二〇・九九平方メートル(九七・一坪、以下、本件借地という。)の総面積

B……昭和三九年一一月頃の僖弘所有名義の建物(以下、本件建物という。)の建坪九三・三九平方メートルがその頃の同地上の全建物の建坪二五七・四二平方メートルに占める割合……〇・三六二

(注) A×B=一一六・一九八平方メートル(三五・一五坪)

C……本件借地の自用地としての一坪当りの昭和三九年分相続税価格……二七万三、五〇〇円

D……本件借地の相続税財産評価上の借地権割合……七五パーセント」

2  同七枚目表六行目の「とこるで」とあるのを「そこで」と、同裏九行目の「同2ないし4は争う。」とあるのを、「同2は争う。同3のうち、被控訴人主張のA及びBの数値が控訴人主張のとおりであることは認めるが、同Cの数額は不知、同Dの数値は否認する。同4は争う。」と改める。

3  同八枚目裏一行目の「高血圧症」から同三行目の「あつた」までを「高血圧症のため健康がすぐれず、他方愛人関係にあつた岩淵美代子のところに入り浸る状態にあり、兄弘一は病後ゆえ一人前に働けないことを理由にして半日も店におらず、母きわは、常に病院に通う状況にあり、さらに弟弘夫は進学を断念して家業に従事しており、他方、本件借地の地代は三年分近く滞納、税金は数年前のものから全く支払われず電話加入権までも差押えられる状況にあり、一言でいえば、松原家は崩壊寸前の事態に立ち到つていた」と改め、同一一行目の末尾に「また、松原家の負債はすべて控訴人において弁済する。」と加える。

4  同九枚目表七行目から同裏四行目までを次のとおり改め、同裏五行目冒頭の「(二)」とあるのを「(四)」と改める。

「もつて、本件借地の引渡をうけた。したがつて、本件借地権の贈与は、昭和三〇年三月頃すでに履行を終つたというべきである。

(二) 仮に、右主張が容れられないとしても、少くとも、昭和三六年中には、僖弘から控訴人に対する本件借地権の贈与の履行は終つたものである。すなわち、

(1)  控訴人は、昭和三〇年、本件借地権の贈与を受け松原理容院の経営を引継いだ直後に同理容院が使用していた建物の増改築を自己の名において行ない。さらに昭和三四年一月頃より昭和三六年六月頃までの間前後六回にわたり計六棟の建物を本件借地上に新築し、昭和三六年一〇月には既存建物を取り壊してその敷地に建物を新築した。右の建物のうち四棟については、控訴人は昭和三六年九月八日に控訴人を所有者とする保存登記手続を了した(すべての建物につき保存登記をなさなかつたのは、登録免許税等の費用が不足したためやむなく未登録となつたものである。)。

(2)  他方、僖弘は本件借地上の建物に居住していたところ、昭和三三年四月頃、横浜市神奈川区六角橋に店舗を賃借して理容店を開業し、本件借地から転出してしまい、右六角橋において愛人の岩淵美代子と同棲するに至つたのである。

したがつて、この時点から、本件借地は控訴人が支配することになつたのである。

(3)  その後、昭和三五年に控訴人の兄弘一が、右六角橋の店に移り、昭和三六年六月一一日控訴人の母であり僖弘の妻であるきわが死亡し、さらに同年中に僖弘が右六角橋の店舗及び敷地を買い取り同人名義の所有権移転登記手続を了した等の諸事情から、もはや僖弘が本件借地に戻る可能性は全くなくなつたものである。

しかりとすれば、少なくとも控訴人が一〇〇坪に満たない本件借地上において八棟の建物の新築もしくは増改築をなし、内四棟につき控訴人を所有者とする所有権保存登記を了した昭和三六年中には、控訴人が僖弘の従前の占有を事実上排除し、自ら独立の占有を取得したことが客観的に明白になつたと認められるから、贈与者僖弘より控訴人に対し本件借地の引渡が終つたと解すべきである。

(三) 仮に、右主張が容れられないとしても、本件借地権の贈与は、負担付であり、その負担は前記のとおり重いのであるから、受贈者である控訴人が右負担を相当程度履行した段階においては、もはや贈与者である僖弘において贈与の撤回権を失うというべきところ、控訴人は昭和三〇年三月本件借地権の贈与をうけた後、病気中の兄及び一人前になつていない弟妹を援助してきたものであり、遅くとも昭和三九年前に右負担は相当程度に履行されたものである。したがつて、控訴人は、昭和三九年前に本件借地権を贈与によつて、確定的に取得したというべきであり、かように解することが、わが租税法全体系を支配する基本原則の一つである権利発生主義の具体的適用である、いわゆる権利確定主義にも合致する。」

5  同一〇枚目表五行目の次に改行して、次の記載を加える。

「(五) 被控訴人は、本件借地の相続税財産評価額上の借地権割合について、七五パーセントと主張しているが、当該借地上に存在した建物の状況が全く考慮されていない。更地価額に対する借地権価額の割合は、地上建物の残存予想期間等によつて大きく変動することは公知のところであり、昭和三九年当時本件借地上にあつた僖弘所有名義の建物は遅くとも大正初期に建築されたものであつて、当時、仮に右建物のあつた部分についての借地権が僖弘名義のものであつたとするならば、その残存期間は相当短かいものと考えられるのである。したがつて、本件課税に際し、借地権割合を七五パーセントとしていることは高率不当のものというべく、本件課税決定の違法は明らかである。」

6  同一〇枚目表七行目の「反論(一)」とあるのを「反論(一)ないし(三)」と同裏二行目の「同(二)」とあるのを「同(四)」とそれぞれ改め、同裏三行目の次に改行して、次の記載を加える。

「3 控訴人は被控訴人主張の借地権割合七五パーセントが高率不当のものである旨主張するが、建物の所有を目的とする地上権及び賃借権については、その期間の定めにかかわらず期間満了時に建物が現存するときは、契約は更新するものであり(借地法四条一項)、本件土地は昭和一三年二月一日に期間二〇年の契約で賃借されており、同三三年二月一日に更新されているので残存期間が贈与時(昭和三九年一一月)においてなお一三年余あつたものである。さらに、建物が朽廃に近い場合も地主が借地権者に改築を容認し、借地契約が継続されるのが借地取引上の実情であり(現に本件借地上に控訴人が地主の承諾の下に新建物を建築している。)、更地価額に対する借地権価額の割合は地上建物の残存予想期間によつて変動する旨の控訴人の主張には理由がないというべきである。なお、借地権価額の算定の基礎となる土地の評価については、土地は上場株式などと異なり取引性の希薄な財産であるので、かかる財産の相続税の課税価格算定に際しての時価評価は、評価の危険性を考慮し、安全度をみて比較的下値の価額で評価することになつており、本件借地の土地の評価も下値の価額で評価されているものである。

したがつて、この点からも借地権価額を算定するにあたり、建物の残存期間などを特に考慮する必要はないものというべきである。

借地権の価額の評価について、国税庁長官発昭和三九年四月二五日付直資五六外「相続税財産評価に関する基本通達」に基づき、東京国税局長が借地権の売買実例価額等を調査のうえ定めた割合は、本件土地については七五パーセントである。

以上のとおりであるので、本件課税に際し借地権割合を七五パーセントとして借地権価額を計算したことには根拠があるから、控訴人の主張は失当であるというべきである。」

7  当審において、控訴人訴訟代理人は、当審における控訴人本人尋問の結果を援用し、後記乙号各証の成立はいずれも認めると述べ、被控訴人訴訟代理人は、<証拠略>を提出した。

理由

一  当裁判所も、控訴人の本訴請求は理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほか、原判決理由欄の記載と同じであるから、これを引用する。

1  原判決一三枚目表八・九行目の「原告本人尋問の結果」とあるのを「原審及び当審における控訴人本人尋問の結果」と、同一七枚目表一一行目及び同裏四行目の「原告本人」とあるのを「控訴人本人(原審及び当審)」とそれぞれ改める。

2  同一八枚目裏八行目の次に改行して、次の記載を加え、同九行目の「なるほど」とあるのを「もつとも」と改める。

「この点に関し、控訴人は、昭和三〇年三月頃もしくは三六年中には僖弘から控訴人に対し本件借地の引渡があつたから、本件借地権の贈与の履行が終つたと主張し、原審及び当審において、「本件借地上の建物及び同借地権は、昭和三〇年三月頃控訴人が僖弘から家業を引継ぐ際に、その贈与をうけ、その頃いずれも引渡をうけたものである。昭和三六年七月三日付で作成された右建物に関する遺言公正証書は、右贈与のあつたことを確認したにすぎない。」旨供述する。しかし、もし、控訴人の右供述のように本件建物及び本件借地権の贈与にもとづき、昭和三〇年三月当時もしくは昭和三六年七月当時僖弘から控訴人に対し、右建物及び借地の引渡がすでになされていたというのであれば、控訴人が一定の義務を履行することを条件として、僖弘所有の本件借地上の建物三棟を遺贈する旨の公正証書(<証拠略>)の作成依頼をするということ自体が不自然かつ不可解というべきである。のみならず、原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は僖弘と同道して公証役場に赴き、公証人に面接して、自らの意見を述べ、また右公正証書の内容も熟知していることが認められる。

してみれば、控訴人本人の右供述は、たやすく借信できず(<証拠略>)中、右供述に符合する部分も、同様の理由で措信できない。)、<証拠略>も右認定を左右するに足りない。」

3  同二〇枚目表四行目の次に改行して、次の記載を加える。

「次に、控訴人は本件借地権贈与は負担付であり、その負担を控訴人は昭和三九年前に相当程度履行したから、同年中には本件借地権を確定的に取得したと主張する。しかしながら、負担付贈与は、負担の限度で贈与者の給付と受贈者の負担とが相互に対価関係にたつと解されるから、負担を相当程度履行したというだけで直ちに履行が終つたのと同視すべき法的効果を付与すべきであるとの控訴人の見解には、にわかに左袒し難く、右主張も採用の限りでない。」

4  同二〇枚目表八行目から同裏二行目までを次のとおり改める。

「4 被控訴人主張の本件借地の総面積が三二〇・九九平方メートル(九七・一坪)であること、昭和三九年一一月頃の僖弘所有名義の本件建物の建坪が九三・三九平方メートルであり、その頃の同地上の全建物の建坪が二五七・四二平方メートルであつて、前者の後者に占める割合が〇・三六二であることは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、被控訴人において本件借地の自用地としての一坪当りの昭和三九年分相続税評価額を金二七万三、五〇〇円と評価したことは相当と認められる。また、<証拠略>を総合すれば、被控訴人において、本件借地の相続税評価上の借地権割合を七五パーセントと評価したことは相当と認められる。控訴人は被控訴人が右借地権の割合を七五パーセントと評価したことは、昭和三九年当時本件借地上にあつた僖弘所有名義の建物が大正初期に建築された古いものであり、したがつて、借地権の残存期間が相当短いから高率にすぎ、不当であると主張する。しかし、<証拠略>によれば、本件借地に関する賃貸借契約は昭和一三年二月一日、存続期間二〇年の約で、その所有者である杉山謙造と賃借人である僖弘との間で締結されたことが認められ、その後右賃貸借が昭和三九年中に僖弘から控訴人に対し本件借地権が現実に贈与されるまで存続していたことは、前記認定のとおりである。そうだとすれば、昭和三九年当時、本件借地権の残存期間は、被控訴人主張のとおり一三年余りあつたというべきである。そして、昭和三九年当時において、次の借地権の更新期である昭和五三年二月前に本件借地上にある建物がすべて朽廃し、もしくは、右更新時に、右賃貸借が更新されない虞れがあつたことについては、これを証すべき証拠がない。してみれば、控訴人主張の建物が大正初期に建築されたものであつても、借地権の価格が低落するとは認められないから、その価格を低く評価すべきいわれはないというべきである。控訴人の右主張は採用できない。

そうすると、被控訴人が昭和三九年一一月に取り壊された僖弘所有の建物敷地に相当する宅地の借地権が控訴人に贈与されたものとして、被控訴人主張の算式によつて、その課税価格を七二一万〇、一四三円(円未満切捨)と算定したことは相当というべきである。」

二  よつて、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺忠之 糟谷忠男 浅生重機)

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